「そういえばDSが届いたんだよ!」先日友人が開口一番に切り出しました。
子供に任天堂DSを買ってあげたのだが、そのお子さんが非常に活発(笑)なお子さんで、一ヶ月もしないうちに落として壊してしまったそうです。
上下のパネルが外れてしまうくらいのほぼ全壊状態。
また新しく買わなきゃ、とぼやいていたので、その前に一度任天堂に聞いて見たらと言ってあげたのが先月の話。
というのも任天堂のアフターケアは異常なほど優れているという噂を聞いていたからです。
「ポケモンのシールを貼ったDSを修理に出したら、直ったのはもちろんのこと、交換したケースにそのシールが貼り直されて送られてきた」という都市伝説まで流れているくらいです。
まあ、その壊れ具合だと直る見込みはないにしろ、買って一ヶ月も経ってないし、もしかしたら買い替えを少し安くしてもらえるかも知れないじゃないですか、聞くだけ聞いてみれば?というつもりで言ってあげたわけです。
で友人が任天堂に聞いたら「じゃ見てみますから送ってください」というので、送ってみたところしばらくして代引きか何かで送り返されてきたらしいです。
修理代金3,500円とのこと。
え?わが耳を疑いました。どう考えても一から作り直したほうが安上がりじゃないかというくらい壊れてたアレがですか?
新品取替えじゃなく、ちゃんと送ったモノが(割れたケースは取り替えられてはいましたが)修理されてきたようです。手間を考えたらむしろ値打ちがあるくらいです。
直ったDSで遊んでる子供を横目で見ながら、友人は「大きい会社だから対応がしっかりしてるんだなあ」などと呑気に言っていました。
が、それは違います。
もっと大きい会社でも対応の悪いところはいくらでもあります。
ましてや今回は明らかに使用者の責任による故障です。
昨今のクレーマー対策として過剰な対応をしているんだとしても新品を送ればいいだけの話。
それをわざわざ手間ひまかけて修理して直して送ってくるというところに、尋常ではないこの会社の信念というか決意というか哲学を垣間見たような気がします。
ポケモンシールの件もあながち・・・とすら思いました。
儲かっているから出来るんだ、という向きもあるかもしれませんが、儲かっている会社ほどこうしたことはやり難いんじゃないかと思います。
なぜならそこまでしなくとも売れるんだから。修理窓口になにもそこまで徹底させなくともいいんです。普通に考えて。この任天堂の仕事は儲けとかなんとかそういうレベルじゃないです。
かつてアメリカの経営学者ドラッカーは、「利益とは会社の目標ではなく、存続のための単なる条件に過ぎない」という主旨のことを言っていました。
今、個人ばかりではなく、会社においても生きていくうえでの価値観が問われる時代になってきていると痛感しています。ただ利益が上がればいいという幼稚な価値観では存続を許されない時代になってきているのではないかと思います。
モノづくりをする立場として、どうやって世の中に貢献していくのか。存在意義を高めていけるのか。
何はともあれいろいろと考えさせられる一件でありました。
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